変えられるもの、変えられないもの

日々思ったこと、学んだこと

皆さんは、「変えられるもの」と「変えられないもの」について、意識して考えたことはありますか。
とある本を読んでいて知った、なかなか勉強になったフレーズがあるので、紹介させてください。

それは「ニーバーの祈り」と呼ばれるものです。
ニーバーの祈りというのは、キリスト教社会で口承されてきた有名な言葉のようです。

ニーバーの祈り とは

ニーバーの祈り とは

神よ、願わくば私に、

①変えることのできない物事を受け入れる落ち着き

②変えることのできる物事を変える勇気

③その違いを常に見分ける知恵

をさずけたまえ

というものです。

①変えることのできない物事を受け入れる落ち着き

当たり前のことかもしれませんが、つい忘れがちなので、この①を意識することは重要だと思います。

どうせ変えることができないのであれば、受け入れるしかないです。

変えることができないものを変えようとしてもしんどいだけですので、無駄に労力を使うのはやめましょう、という話ですね。

②変えることのできる物事を変える勇気

自己啓発系の本に出てきそうな言葉です。

変える勇気を持たなければ、何も変わらない。

何かを変えたければ、勇気を持って行動した方がいい。

とにかく恐れずチャレンジしてみましょう、動くことが大事ですよ、みたいな。

色んな本に書いてありますね。

③その違いを常に見分ける知恵

個人的に衝撃だったのは、この③です。

変えることができるものとできないものとを見分ける知恵。

私はニーバーの祈りのこのフレーズを見るまで、はっきりと意識したことがなかったです。

初めて見たときは結構な衝撃でした。

しかも、①と②と並んで書かれているので、③も、①と②と同じくらい大事なことだと理解しました。

物事を受け入れる落ち着きがあっても、物事を変える勇気があっても、そもそも変えることができるものと変えることができないものとを見分けることができなければ、空回りしてしまいます。

というか、多くの人が対人関係で苦しんでいるケースのほとんどが、これを見分けることができていないからなのではないか・・・とすら思ってしまいました。

見分けられないと

変えることができるのに、変えようとせずに受け入れて落ち着くというのは損ですし、怠慢ともいえます。

逆に、変えることができないものを無理矢理変えようとする勇気を持ったとすれば、強引なやり方をするしかないし、思い通りにいかなくて相当なストレスが溜まりそうです。

注意点 : 変えることができるもの ≠ 変わるもの

微妙な違いなんですが、

変えることができるもの

と、

変わるもの

は違います。

「変わるもの」というのは、「変えることができるもの」を含みますが、もっと広いです。

「変えることができないもの」であっても「変わるもの」はあります。

ここを履き違えると、変えることはできないのに無理矢理変えようとすることにつながってしまう可能性がありますので、注意が必要です。

例 「自分」と「他人」は変えることができるか

例として、「自分」と「他人」について考えてみたいと思います。

私は、以下のように理解しています。

こう考えないと間違っている!と主張したいわけではないです。

その方がストレスが溜まりにくくて便利だからこう考えてみてはいかがでしょうか?という提案です。

自分は変えることができる

「自分自身」は、変えることができると思います。

「いやいや、自分は変えられないよ」という意見もそれなりにありそうですが、それこそ、勇気を持てるかどうかではないでしょうか。

自分のことは、自分しか責任を取れません。

どう動くか、どういう人生を歩むのかは、自分の意思次第。

なので、自分の現状が嫌な人は、自分を変える勇気を持つことが大事なんでしょうね。

他人を変えることはできない

他人を「変えることはできない」です。ここは異論が多そうですが。

ただ、他人からどうこう言われたって、それで変わろうとするかはその人の意思次第ではないでしょうか。

ですので、他人を変えようとする勇気を持つのは危険な気がします。

とはいえ、他人だって、変わることはあります。

ですが、それはあくまで、その人が自発的に変わろうとしただけではないでしょうか。

外部から変えることができるものではないと思います。

知識の提供や提案することはいいんでしょうけど、考え方自体を無理矢理変えさせるというのは無理でしょう。

脅して従わせる、ということはできるかもしれませんが、考え方を変えているわけではないです。

何より、他人を変えようとすればするほど上から目線になってしまいますし、どんどん仲が悪くなってしまいそうです。

他人は変えられないものだと受け入れて落ち着くことを目指す方がいいように思います。

それよりは、自分を先に変えたい。

自分が変わった結果、他人が自然に変わるということはあるでしょう。

意図的に他人を変えようとすると、うまくいかないことの方が多そうです。

「変わるもの」ではあるけれど「変えることができないもの」。それが「他人」というものです。

まとめ

1つの考え方に過ぎないとは思いますが、私はこのように理解しています。というか、そう思いたいんです。

その方がストレスが溜まらなさそうだからです。

他人の考えを受け入れて落ち着けるように、自分自身を変える勇気を持ちたいですね。

他人を変えようとしてうまくいかず、多くの人がイライラしているように思います。

自分と他人というテーマ以外にも、変えることができるものとできないものとを見分けた方がいい場面は、たくさんあると思います。

「自分の性格」は、変えられませんか?それとも、変えられますか?

本当は変えることができるのに、できないと割り切ってしまっていないか。

変えることはできないのに、無理に変えようとしていないか。

変えることができるものか、変えることができないものか、その判断を見誤っていないか。

何かがうまくいかないときには、ニーバーの祈りを思い出したいと感じました。

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